サイトへ戻る

鳥のように自由に〜共産党政権に処刑された鳥類学者

 

「i Ahoj!」2022年1月号はもうご覧になったでしょうか?

むにゃむこコーナーでは、「鳥のように自由に」という題で、共産党政権に処刑された鳥類学者について書いております。

写真①表紙

チェコスロヴァキアの鳥類学者、ヴェレスラフ・ヴァール氏 Veleslav Wahl(1922〜1950年)が1944年に書いた本、『プラハの鳥類学 Pražské ptactvo』が、2021年に再出版されました。

約80年前のプラハに生息していた223種類(現在はもっと少ない)の鳥の生態について書かれた本が、21世紀に蘇ったのです。

↓ ヴァール氏と、妻のタテャーナ・ヴァーロヴァー・ルージチュコヴァー氏 Taťána Wahlová–Růžičková。

ヴァール氏

ヴァール氏はプラハに生まれ、14歳で鳥類学の研究を始めました。研究の傍ら、第二次世界大戦中はナチス・ドイツへの抵抗活動を主導しました。友人たちの助けで身を隠し、終戦までプラハ市動物園で働いていました。妻もヴァール氏の抵抗活動を積極的に支援しました。

父親とおじがナチス・ドイツへの抵抗運動で処刑されており、民主的でない権力には命がけで反対する筋金入りの一族だったようです。

 

第二次世界大戦後の1948年2月にチェコスロヴァキア共産党政権が発足して以降、ヴァール氏は共産主義者への反対活動をしていましたが、1949年に逮捕され、1950年に死刑判決を受けました。ヴァール氏の恩赦請求を、当時のクレメントゥ・ゴットゥヴァルドゥ大統領 Klement Gottwald は却下。ヴァール氏は28歳の若さで処刑されました。

ヴァール氏

自由に飛ぶ鳥の生態を観察したヴァール氏は、政治刑務所で何を考えていたのでしょうか。辛い尋問や拷問で憔悴したヴァール氏は、幸福だった頃とは別人のように虚ろな目をしています。今は天国で全ての苦難から解放され、鳥のように自由を謳歌していて欲しいと願わずにはいられません。

 

と、ここで1944年出版のオリジナル版を見たところ、ヴァール氏が鳥に寄せた深い想いに気付きました。その想いとは・・・。

ヴァール氏

1944年版の写真は、

・巣でヒナに餌を与える親鳥の姿

・雪の中でじっと身を守っている姿

・敵に襲われて命を落とした姿

など、鳥たちの生き様がありありと伝わって来るものばかりだったのです。

ヴァール氏

2021年版は、鳥類図鑑のような美しい写真だけで、全くの別物でした。

ヴァール氏

鳥は厳しい自然や弱肉強食、食物連鎖の中で生きている。

人間が外国の敵や戦争、思想の違いと戦っているのと同様に、鳥も精一杯子育てして子孫を残し、生き残るために闘っている。

ヴァール氏は鳥の姿に、人間や自分を重ね合わせていたのではないかと思い至りました。

ヴァール氏

さらに鳥の姿から、自分が闘う励みをも得ていたのではないでしょうか。

「自分は精一杯、今回の人生での使命を果たした。処刑は甚だ不本意だが、悔いはない」

という心境で旅立って行ったのであって欲しいと、勝手ながら思います。

ヴァール氏

著者は亡くなっても著書は残り、想いは受け継がれていく。まさにペンは剣よりも強しですね。

 

1995年にはヴァーツラフ・ハヴェル大統領 Václav Havel から白いライオンの勲章が授与されました。

 

プラハ城近くにヴァール氏を偲べる場所があるので、お散歩される時にでも立ち寄られてみてくださいね〜。

Úvoz 13, Praha 1 - Hradčany 

にあるスウェーデン大使館は、旧ヴァール邸でした。

スウェーデン大使館

↓ 玄関口にある記念銘板。

「ここにヴェレスラフ・ヴァールが住んだ。

学生、鳥類学者

1922年5月15日生まれ

1949年9月7日逮捕

1950年6月16日処刑」

ヴァール氏

通りと反対側の壁には、このお屋敷と所縁のある人々についてや、チェコとスウェーデンの外交100周年に関する解説板があります(チェコ語・英語)。

スウェーデン大使館

プラハ1区のウーイェストゥ Újezd にある

「共産主義の犠牲者を追悼する碑 

POMNÍK OBĚTEM KOMUNISMU 

ポムニーク オビエテム コムニズム」

をご覧になったことがある方は多いと思います。

追悼碑1

1948〜1989年のチェコスロヴァキアは共産党が政権を執っていた時代で、共産党に同意しない国民は弾圧を受けました。

 

この像は、

・処刑された人

・政治刑務所に入れられた人

のみならず、

・全体主義者の暴政で人生を破壊された全ての人たち

に捧げられています。

追悼碑2

共産主義の犠牲者数

 有罪判決を受けた人 205,486人

 処刑された人 248人

 刑務所で死亡した人 4,500人

 

 1948~1989年に

 国境で殺された人 327人

 亡命・移民した人 170,938人

犠牲者数

この追悼碑は、2002年にプラハ1区と政治刑務所囚人同盟の尽力で設置されました。

制作者 

建築家 ズデニェック・ホルゼル Zdeněk Holzel

建築家 

ヤン・カレル Jan Karel

塑像家 

オルブラム・ゾウベック Olbram Zoubek

 

国家反逆罪で死刑判決を受け、処刑されたミラダ・ホラーコヴァー氏 Milada Horáková(1901〜1950年6月27日) は、特に有名ですね。処刑された248人の中で唯一の女性でした。1968年7月、最高裁判所はこの判決が違法であると取り消しました。取り消されても、処刑されてしまった人は還って来ません。

ミラダ・ホラーコヴァー

ヴァール氏の約10日後に処刑(絞首刑)されたんですね。共産党政権初期は、恐怖政治の時代でした。

 

プラハのヴィシェフラトゥ Vyšehrad にある国民墓地に、ミラダ・ホラーコヴァー氏のお墓がありますが、中は空っぽです。

ミラダ・ホラーコヴァー

なぜお墓が空っぽなのか?共産主義者たちは、処刑した人々のご遺体を殆どご家族に返さず、火葬した後、例えばモトル火葬場 krematorium Motol クレマトリウム モトルにまとめて捨てたのです。今は祈念碑が立っています。

モトル火葬場

プラハ7区のホレショヴィツェ Holešovice に「ミラダ・ホラーコヴァー通り」があります。

ミラダ・ホラーコヴァー

この通りがテリトリーの方も多いのではないでしょうか。

ミラダ・ホラーコヴァー

ミラダ・ホラーコヴァー氏のお墓など、国民墓地に埋葬されている著名人についての詳細は、下記 動画 ↓ をご覧くださいね〜。

 

共産主義時代のチェコスロヴァキアについて知りたい方には、プラハの共和国広場 Náměstí Republiky ナームニェスチー レプブリキにあ共産主義博物館へどうぞ〜。

共産主義博物館

V celnici 4, Praha 1

最寄駅 地下鉄B線・トラム・バス  Náměstí Republiky

9〜20時

大人 380コルン

学生 290コルン

シニア 320コルン

10歳未満 無料

家族券 800コルン(大人2人、10〜17歳の子ども2人)

 

世界が全体主義に傾いて行っている現在、過去を知ることはとても重要ですね。