この記事は、LINE 配信「Ahoj!」2023年9月号に書いたものです。
米原万里氏がプラハで住んだ家はどこ?
ロシア語通訳者、作家、エッセイストだった米原万里氏(よねはら まり 1950〜2006年)をご存知でしょうか?プラハにとてもご縁の深い方です。
1959〜1964年、日本共産党幹部だった父親が、プラハにある国際共産主義運動の理論誌『平和と社会主義の諸問題』編集局の編集委員に着任したため(表向きはチェコスロヴァキア科学アカデミー東洋研究所の研究員で、「大山」という偽名を使用)、米原一家はチェコスロヴァキアのプラハに住み、米原氏はプラハのソヴィエト大使館付属学校に在籍しました(小3〜中2)。ここでロシア語を覚え、帰国後もロシア語に触れ、ロシア語同時通訳の第一人者になりました。食べることが大好きで、クネドゥリーキ knedlíky やチェコのパンが好きだったそうです。
豪快で毒舌、冗談好きで炯眼な米原氏の通訳秘話、エッセイ、小説は、読み出したら止まらない面白さで、のめり込むような読書体験を味わえます。
米原氏のあだ名は、ユーモア溢れるものばかり。
・歯に衣着せぬ物言いに「舌下美人」
・ロシア皇帝エカテリーナになぞらえて「エッ勝手リーナ」
・ロシアでパサパサのサンドイッチを飲み物なしで次々と平らげたので「ツバキ姫」
さて、米原一家はプラハのどこに住んでいたのでしょうか?
答えは、この本に書いてあります。『終生ヒトのオスは飼わず』
場所は、プラハ6区の勝利の広場 Vítězné náměstí に面した建物。プラハをご存知の方なら、
「あ〜、あそこ!」
と思われるのではないでしょうか。
↓ この3つの建物のうちのどれかだと思われます。当時、この広場は「十月革命広場」という名前でした。隔世の感がありますね。
『終生ヒトのオスは飼わず』の書名通り、米原氏は生涯独身で、行き場のない犬や猫を引き取ってはお世話していました。卵巣癌で、56歳の若さで亡くなりました。もっともっと書いて欲しかった・・・残念です。
NHK で放送された「世界わが心の旅 プラハ 4つの国の同級生」
『嘘つきアーニャの真っ赤な真実』に書いてある内容で、かつてソヴィエト学校で同級生だった仲良しの行方を探します。
ひと昔まえのプラハがたくさん出てきます。