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プラハに新登場♡自由と独立を象徴する蝶々の飛行機

2024年5月18日(土)、プラハ1区の Národní třída ナーロドゥニー トゥシーダにある商業施設 Máj マーイの壁に、「スピットファイアー Spitfire の蝶々」が設置されました。

 

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時々プロペラが回り、羽ばたきます。また、羽が光ります。

 

作者はチェコ人の芸術家、ダヴィトゥ・チェルニー氏 David Černý。

 

 

 

 

皆様ご存知と思いますが、プラハのあちこちにチェルニー氏の作品があります。どれも奇想天外な作品です。

例えば、

・聖ヴァーツラフの逆さ騎馬像

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・ジシュコフのテレビ塔を登る黒い赤ちゃん

(↓ こちらはカムパ島 Kampa にある黒い赤ちゃん)

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・ぶら下がってる人

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・パズルのようにぐるぐる回る、作家フランツ・カフカの頭の像

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他にもまだまだありますが、この辺で。

 

次に、スピットファイアーについて。

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スピットファイアーは第二次世界大戦で大活躍したイギリス製の名戦闘機で、イギリス空軍をはじめとする連合軍で使われました。

 

1940年7月〜1941年5月のバトル・オブ・ブリテンではスピットファイアーが活躍し、イギリス空軍がナチス・ドイツ軍に勝利しました。

↑ ナチス・ドイツ軍の戦闘機はメッサーシュミットです。ナチス・ドイツ軍のパイロットも、勝つためにはスピットファイアーがないと、と言ったとか。

 

 

そのスピットファイアーが、なぜチェコと関係があるのでしょうか?

 

1939年3月15日のナチス・ドイツによる占領で、武力放棄させられたチェコスロヴァキア軍のパイロット達は、祖国のために戦うのを諦めずに義勇兵としてイギリス空軍に入り、このスピットファイアーでナチス・ドイツ軍と戦いました(85〜87人)。

↓ 2001年制作のチェコ映画、「Tmavomodrý svět トゥマヴォモドゥリー スヴィエトゥ(邦題 ダーク・ブルー)」より、戦闘の場面。

 

チェコスロヴァキア以外にも、ポーランド、ニュージーランド、カナダ、ベルギー、オーストラリアなどのパイロットが、イギリス空軍で戦い、貢献しました。

 

第二次世界大戦が終わり、イギリス空軍で戦ったチェコスロヴァキアのパイロット達は英雄として祖国に迎えられましたが、1948年2月に共産党政権が発足し、チェコスロヴァキアが旧ソ連の衛星国(東側)になると、イギリスからの帰還兵士達は「西側のスパイ」、「自由を求める危険分子」と見なされて軍隊から追放され、投獄され、尋問を受けました。拷問も頻繁に行われました。過酷な肉体労働を課せられ、ヤーヒモフ Jáchymov(ドイツとの国境近く。カルロヴィ・ヴァリ Karlovy Varyの北) のウラン鉱で防具服もなく放射能に晒されながら働かされた人々もいました。

残された家族も、アパートからの強制退去、配偶者が解雇される、子どもに進学選択の自由がないなどの迫害を受けました。

 

パイロット達の名誉が回復されたのは、1989年の民主化以降でした。

 

映画、「Tmavomodrý svět トゥマヴォモドゥリー スヴィエトゥ(邦題 ダーク・ブルー)」を観ると、戦争から戦後への一連の流れがよく分かります。日本でも公開されました。 

 

 

チェコの人々にとって、スピットファイアーにはそのような意味があるんですね〜。

 

プラハのど真ん中で、自由と独立の象徴として、蝶の姿をしたスピットファイアーが羽ばたく。毎日、チェコの人だけでなく、世界各国の人々が見上げ、撮影しています。 

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